七夕


 歴史の転機は18世紀だか20世紀だか、熱心な研究家は今の日本国の内部分裂はその時を境に悪い方へ向かってしまったと言う。
 歴史にもしもは無い。月白(つきしろ)はそう思う。“もしも”が存在してしまうなら、今の自分は間違えた道を歩んでいると認めてしまう事になるからだ。


 学生まで戦争に借りだすこのご時世。それをおかしいと言う者は、常識となってしまったこの日本国では少数派だろう。
 学生であろうと、戦争に出れば死ぬ。事務的に告げられる聞いた事のある名前が、否応でも自分も生死の境に立っていることを思い起こさせる。


 そんな、血なまぐさい――吐き気がする程に鉄錆びた――白と呼ぶのが笑える、正式名称「日本公帝国軍」の学校であっても、古来からの行事は変わらず行うらしい。



 七月七日、七夕。
 中国から奈良時代に伝わったのが始まりだとか、日本ではお盆と関係のある行事だったとか、その辺はあまり興味が無いので詳しくは知らない。
 この学校での七夕は、大きな笹の木に願い事を書いた紙をつるして、勝手に用意した菓子をつまむ。そういう、息抜きみたいなものだ。
 風通しの良い縁側に腰掛ける月白の傍らにも、八ッ橋が置かれていた。月白としてはチョコ味ではないのが少し残念だが、幼い頃から慣れ親しんだ和菓子でもあるし、八ッ橋は菓子の中でもかなり好きな部類だった。
 皿の八ッ橋をひとつ手に取り視線を正面に向けると、白砂や小石で形作られた庭園、枯山水が広がっている。校舎の一部だと忘れてしまいそうな、素人目から見ても見事な枯山水は地上の天の川にも見える。


「天の川、か」
「月白くん、どうしたの? 八ッ橋おいしくなかった?」

 不意に呟いてしまったのが聞こえたのか、八ッ橋を持ってきた当人、月白と同じ白軍3年の桐乃(とうの)が皿を挟んで反対側の縁に腰掛けた。
 浴衣に扇子といった、手本にしたい京美人のいでたちで、一つにまとめた鳥の子色の髪は主張しすぎない上品な花の髪飾りで彩られている。京藤色の生地に、白い紫陽花の染めの浴衣は、彼女によく似合っていた。


「いや、八ッ橋はうまい。少しばかり夢想してただけだ」
「そう? なんだか今日は淋しげに見えたから」

 そう言って、桐乃は手元の扇子でゆっくりと首元を扇ぐ。やさしい風が後れ毛を揺らし、普段は見えないうなじにドキリとした。

「俺だって、織姫と彦星に想いを馳せるローマンチックな一面だってあるさ」
「ふーん・・・・・・本当かしら」
「なんだぁ? 今日はやけに気にするな」


 いつもの“月白らしい”調子で言ったつもりだったが、隠しきれていなかったらしい。あまり見ることのない、悪戯っぽい表情がいやに色っぽく見えた。
 桐乃に追及されたからという訳ではないが、今日くらいは過去に浸ってもいいか、と見上げた夜空に心の声を浮かべた。七夕は曇る事が多いが、今日は天の川が綺麗に流れていた。


「・・・・・・年に一度だけでも会えるのなら、それは幸せだろうか」
「それは誰かの言葉?」
「どうしてそう思うんだ?」
「なんとなく。月白くんらしくないかなと思って」

 一瞬、見透かされているような感覚に陥る。こういう時は桐乃の目をうまく見れなくなる。

「お盆には死んだ人間が帰ってくるって言うだろう」
「やだ、怖い話? そういうのは苦手なんだけど……」

 そういえば、ホラーは苦手だと言っていた。「仮にも軍人なのに血が苦手なんて情けないと思うか」なんて自嘲した時に、自分にも怖いものはあると話してくれたのだった。思えば、彼女のそういう優しさにも惹かれたのかも・・・・・・いや、今はそんな話はどうでもいいな。

「どうしても会いたい人に会えるなら、たった一度の黄泉がえりでも嬉しいもんなのかってな。考えてもどーしようもない事を考えてただけだ」

 言葉にすると尚更無駄な話を考えていたと、恥ずかしくなった。「もしも」なんてあるわけないのに。


「そうかな。もしかしたらを考えるのは、そう悪い事でもないと思うけれど」

 彼女にも変えたかった出来事があるのだろうか。いや、愚問か。この時代に何の後悔も無く幸せに生きている人間なんて、それほど多くはないだろう。

「もし会えるはずのない人に会えるなら、月白くんは嬉しい?」
「・・・・・・俺は、今を全部諦めてしまいそうで怖い」
「諦める?」
「会ってしまったら、俺はきっと託された理想を捨てちまう」

 今の月白が白軍に居るのは、桃火(とうか)が語った夢物語を少しでも実現したいからだ。彼女が居ないからこそ、彼女の願ったような人間になりたい。でも、もう一度会えたなら、己を捨ててでも彼女の傍に居たいと思ってしまいそうで、自分の弱さに忸怩(じくじ)たる思いでいっぱいになった。


「やっぱり、現実的に起こりえないことは起こらないほうが幸せなのかもしれねぇな」
「・・・・・・そっか。そうかもしれないね。過去があるから、今こうして月白くんとも出会えたわけだし」
「そうそう。お前さんの八ッ橋はきれぇな星にもよく合うしな」

 言いつつ、八ッ橋を星空にかざす。今日は本当にいい夜空だ。

「お世辞言ってもこれ以上は八ッ橋持ってきてないんだけど……。そんなに考え込むくらい大事な人に出会えたのは、素直に幸せなことじゃないかなって、私は思うけれどね」

「ありがとな」

「なに?」
「うまい八ッ橋ありがとさん!っつったんだよ」

 顔が赤くなっている気がして、慌てて顔を背ける。今更これくらいで桐乃からの評価が変わることはないだろうが、羞恥(しゅうち)からの反射的な行動だった。
 背中の向こう側で彼女が笑った気がした。



「そういえば、短冊には何か書いた?」
「ああー、んなもんもあったな。ま、適当に書いとくか」
「なんて書くの?」
「控えめに『世界平和』ってとこだな」
「それはとってもささやかな願いね」
「だろう?」



 ――笹につるした願い事、隠した想いを伝えるのはいつの日か。星に願いを、月に祈りを。







 『 少しいいことがありますように 』



 + + + + +

雅さんが気を利かせて二人にしてくれてるんじゃないかなとかw
周りにも人は居ます。
月白の願いは診断メーカーの結果で決めました(笑) なんだよ……もっとささやかじゃんw
あと、桐乃ちゃんに聞かれる前に既に短冊書いてる。
かわいい願いすぎて言うの恥ずかしかったんじゃないですかね。

あまり解決はしてないんだけど、話聞いてもらえて助かった的な。
何も特別なイベント起こらなくてごめんね・・・!