DM外伝 ルチル・ラドライト

 クオの記憶にある彼の姿は、透明感のある長い髪をまとめるための質素な帽子と、掴めば壊れてしまいそうな華奢な肩だった。
 工房「メレーホープ」の作業台に向かう彼は、クオが話し掛けても決して振り返りはしなかった。彼の中にはドールの事しかない。それは彼と同じ「灰色のドールマスター」の弟子であるクオも似たようなものだったが、自身の方をちらりとも見ない後ろ姿に、沸々とした暗い炎が湧き立つのだった。


「おい」
「どうかしましたか、クオ・ゴールド」

 彼は何故かクオの名を呼ぶ時だけ、長ったらしくフルネームで呼んでいた。理由は分からない。そんな雑談をする程、ルチルとクオは親しい仲ではなかった。同じ師のもとで修行に励んではいたが、仲間というよりはライバルと言った方が正しい。

「あのじじい・・・・・・マスターはどうした」
「お師さまは、先に床に入られましたよ」

 話をする時も、ルチルはそのままの体制で作業している。冷たい、ガラスのようなドールの右瞳はドールにだけ向けられる。
 クオは彼の創るドールのことは嫌いではなかった。マスターを除いて、自分の次くらいには認めてやってもいいと思っている。ルチルの創るドールは、キレイだった。

「来年で百寿だったか。いい加減、灰色の名を譲ってほしいもんだな」

 ルチルに話し掛けながら、彼の方へ一歩踏み出す。しかし、会話の続きは彼からは返ってこなかった。いつものことだ。小さなマシンドールの灯りが照らす部屋に広がった静けさが、暗に必要のない会話だと言われているような気がした。


「・・・・・・なァ、“ルチル・ラドライト”」

 嫌味をたっぷりと込めて、彼の名前を呼んでやる。
 ルチルがどういうつもりでフルネームで呼んでいるのかは知らないが、クオにとってその呼び方は対等さに欠ける、見下されているように感じられるものだった。だから、クオも同じように呼んでやろうと思ったのだ。

「灰色の名を継ぐのはどっちだろうな? 兄弟子の俺か、ルチル・ラドライト、お前か」

 いくらマスターが老人とは思えない健康体であっても、老いには勝てない。跡継ぎの話は店の常連客なんかもよく話しているのを、ルチルも聞いた事があるだろう。
 他の工房であれば、名を継ぐというのは店を継ぐことであり、継いだ名と与えられた名の間に優劣は存在しない。しかし、「灰色」の名は特別だ。灰色のドールマスターとは、ファンシードール界のトップにのみ与えられた名だからだ。
 話を振りはしたが、彼が答えるとは思っていなかった。

「・・・・・・私は、クオ・ゴールド、君が継ぐべきだと思います」

 だから、ルチルが喋った時、聞き逃してしまいそうになった。
 彼の無機質な声からは、その言葉にどんな意味が込められているのか読み取ることは出来ない。本心なのか、兄弟子だからそうなるのが自然だということか、それとも嫌味なのだろうか。
 尚もこちらを見ようとはしないルチルに、苛立ちが込み上げた。


 + + +


 例年よりも雪深い冬。新しい年を前に、マスターは床に臥した。
 医者によると目立った疾患は無いとのことだった。年齢を考慮すると、至って健康であると。だが、その顏は死ぬ間際の老衰しきった姿そのものだった。

「マスター。寿命だってよ。さすがのあんたも人間だったって訳かい」
「・・・・・・師匠が、死にそうだってぇのに、お前は変わらんな・・・・・・」

 使い古された木のベッドが一つ、それ以外なにもない殺風景な部屋でマスターは寝ていた。ベッド脇には小さな椅子に腰かけたルチル。掛け布団から出た枯れ枝のような手を握っている。
 クオは部屋には入らずに開いた扉に身体を預けて、窓から見える雪を見ていた。

「ガキの頃拾ってくれた恩は忘れて無い。あんたから“灰色”を継いだら、きちっと返してやる」
「・・・・・・クオ、お前に名は継がせん」

 揺れる。
 部屋の中にまで雪嵐が入り込んだのかと錯覚する。
 しわがれた、力のない声なのに、何故だかはっきりとクオのもとへ届いた。

「・・・・・・ハッ、オイじじい、そりゃどういうことだ」

 部屋の外からでも分かる程、マスターは苦しそうに身じろいだ。
 師匠の弟子は兄弟子であるクオともう一人しか居ない。名前に引き寄せられた志願者は大勢いたが、二人以外には弟子を取ろうとはしなかったからだ。

「あァ、そうかい。なら、こんな場所にはもう用はない」
「クオ・ゴールド」

 珍しく感情の見える、咎めるようなルチルの声を無視して、逃れるように開きっ放しの扉に拳を叩きつける。

「祝福するよ、ルチル・ラドライト」
「そのような言葉は不要です」


「老いぼれの埃被った名なんざくれてやる」



 その後、彼らが何を話したかは知らない。
 しばらくして、ルチルが灰色のドールマスターと呼ばれているのを、レディオドールから聞いた。俺が工房を出た後、正式に名を継いだのだろう。


「・・・・・・どうした。お前も捨てられたのか」
「・・・・・・・・・・・・」

 ドールの声を初めて“聴いた”のは、路地裏で彼女に出会った時だった。


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師匠のもとで修行してた時代のルチルとクオ。
シルバールチルクォーツ+ラブラドライトなルチルとゴールドルチルクォーツなクオ氏です。なんちゅうか、そういう対の存在好きね。うゆさん。

・レディオドール
 現代でいう所のラジオ。一応番組とかある。朝と夕の番組以外は不定期。個人で所有するというよりは、店の客呼びの為に置いてある場合が多い。マシンドールの一種だが、用途が音声伝達だけなのでサイズは小さめ。