DM−ep3 原石


 朝刊を配達するドールの鈴の音が、朝の訪れを教えてくれる。大きな車輪を器用に操り、人型の上半身と二つの車輪が一体化したマシンドールが店の前で止まった。
 工房兼ドール専門店「メレー・ホープ」の店先を掃除していたネリア・ガネットは、慌てて配達ドールのもとへ駆け寄った。
 
 「いつもありがとうございます」

 機械的に差し出される新聞を受け取り、ネリアは元気な笑顔を返す。ファンシードールのような感情表現の機能がない為、配達ドールの表情は全く変わらない。
 ドールが次の家に向かうのを見送って、ネリアは掃除道具と一緒に店内へ入った。

「伊吹さん! お掃除終わりましたー!」
「お疲れ様です。 今日はお早いですね」
「えへへ……ここに来てから半年経ちましたからね!」

 店内で開店の準備をしていた老紳士、露草伊吹に新聞を手渡し、手近な椅子に腰を下ろす。

「ネリアさんは物覚えも早いですし、やはりお若いですね。私などはもう、腰が辛くて」
 
 と、伊吹は腰を叩く仕草をする。
 伊吹は朗らかな笑顔で笑っているが、こう見えて先程の配達ドールと同じマシンドールである。ここ、「メレー・ホープ」の現店主のルチルの師匠が作った、「ファンシードールと同レベル以上の感情を持ったマシンドール」なのだそうだ。腰が辛いと言うのは彼の持ちネタの様なもので、伊吹は場を和ませるためなのか、こうやってじじ臭い発言をする。
 改めて意識しなければ、人となんら変わらない。瞳や関節を見れば確かにドールなのだが、伊吹の動きや発言はパリッとした黒の燕尾服のよく似合う白髪の老紳士そのものである。実際、ネリアも実の祖父のように親しくしてもらっている。

「こんな早朝から、いつも大変ですわね。お茶にしませんこと?」
「クロシュちゃん。ありがとう」

 木製のカウンターから声を掛けられて振り返ると、可愛らしい女の子が人形用の小さな椅子に座っている。ふんわりとしたドレスに身を包んだこの少女は、ルチルが創り上げたファンシードールだ。しかし、売り物ではない。ルチルがどういうつもりで制作したかは分からないが、クロシュ本人は看板娘だと言っている。
 椅子とセットのテーブルに置かれたティーカップを、白く繊細な指で持ち上げると、彼女は紅茶の入ったカップのふちに口を付けた。部屋の角に合わせるように直角に曲がった長いカウンターの道路側の扉前は、彼女、クロシェット・ブランシュのティータイム用の特等席になってしまっているらしい。

「申し訳ございません。ネリアさん。その前に、ルチル様が地下へ来るようにと仰っておられました」
「え、僕に、ですか?」
「はい」

 ルチルが地下へ呼び出すのは初めてだ。
 地下にはドールへ命を吹き込む為の部屋があり、まだまだ駆け出しメイカーのネリアは入る事を許されていない。
 ドール作りで一番大事なのは、心核(コア)に心を吹き込む作業だ。メイカーの心の揺らぎはそのままドールにも伝わってしまう。故に、極力集中を乱されないように、心核の作業室は小さな窓すらない地下にあるのだった。
 地下には他にも物置があるが、ルチルが呼んだという事は作業室の方だろう。

「ごめん、クロシュちゃん。僕、ちょっと行ってくるね」
「まあまあ、ではお菓子の用意をしてお待ちしていますわ」


 ++ ++


 ネリアは落ち着かない気持ちのままで、地下への階段を一歩ずつ降りる。
 若しかして、役に立たないからやっぱり出ていけとか、才能が無いから諦めろとか言われてしまったりして。そんな考えに至って、芋ずる式に思い当たる出来事が頭に蘇る。百歩譲っても、出来のいい弟子とは思えなかった。

 石で組まれた周囲から、ひんやりとした冷気が染みだしてくる。肌寒さが、一層ネリアの不安を煽る。
 しばらくして、大きな木製の両開きの扉が現れた。この奥が作業室だ。自分の足音と呼吸音くらいしか音はしないが、恐らくルチルは中に居るのだろう。
 ゆっくりと深呼吸。
 何を言われても受け止める覚悟を決める。
 鉄製の取っ手を両手で握り、ぐっと押す。鈍い音を響かせながら、分厚い扉は開いていく。扉の向こうには、これまでの通路と同じように蝋燭の明かりしかついていないようだ。ゆらゆらとオレンジの灯が、それほど広くない部屋の中央に届く。
 そこには予想した通り、長い薄水色の髪を帽子でまとめたマスター、ルチル・ラドライトが背を向けて立っていた。


 (ああ、色んな可能性を考えて、受け止める覚悟もしたはずなのに、足が動かない。声が、出ない)


 ルチルは集中しているのか、こちらには気付かない。自分から話し掛けるしかないようだ。
 小さく深呼吸。最悪のパターンを想定するのと、臆病になり過ぎるのは違う。 

「る、ルチルさま!」
「はい」

 声が裏返ってしまった。ネリアの慌てた様子には気にも留めずに、ルチルはのんびりと振りかえっていつもの硝子のような瞳をこちらに向けた。

「お疲れ様です。ネリア君。工房の生活には慣れたようですね」
「はい。……いえ、失敗してばかりで、何も出来てないです。僕は……」

 初めてのおつかいは大失敗だった。
 同年代のドールメイカーの女の子、ファリンとは友達になれそうだったのに気まずいまま別れてそれっきりだ。あの後も何度かおつかいを頼まれたが、いくら迷子になってもファリンちゃんとは会えていなかった。
 ――迷子になってる時点でダメダメだというツッコミは置いておいてほしい。


「ジェムストーンから、手紙が届いていました」
「ジェムストーン……ドットさんですか!?」

 共同工房「ジェムストーン」
 原石と名付けられたその工房は、多くのマスターやメイカー達の夢を潰えさせぬよう生まれた、従来とは変わった形式の工房だった。全く違うタイプのドール作りをする人々が、一つの工房で切磋琢磨しながら世界に一つだけのドールを作っていた。
 ネリアは荷物を届けに行った際に、ジェムストーンのペリドット・ネオパールと親しくなり、彼のドール、アルメリアネリネとも仲良くなったのだった。

「貰ったお茶、とてもおいしかったです。またいつでも来てください。工房の仲間入りも歓迎します、と」
「ドットさん……」
 
 ジェムストーンへは、あれからも何度かお茶会に行っていた。ドットさんはいつも優しく迎え入れてくれて、先日も伊吹さんの用意してくれたハーブティーを持ってお邪魔したのだった。

「ネリア君。君が、他の工房へ行きたいなら、私は止めません」
「ルチル様!? ぼ、僕はそんな事……」
「しかし、君がこのまま私に師事したいと言うのなら、すこし、寄り道をしてみましょうか」
「……へ?」 


 ++ ++


 ルチルに連れられて着いた場所は、誰かの工房のようだった。
 工房全体は丸っこいフォルムで、頭の部分には猫のような耳がついている。遠くから見ると大きなマスコットキャラクターのようだ。大きく空いた口の部分は扉になっている。工房というよりはグッズショップのようだと思った。
 ルチルは呼び鈴を2,3回鳴らすと、返事も待たずに扉を開けて中へ入った。慌ててネリアも後に続く。メレーホープから持ってきた紙袋をカウンターの上に下ろした所で、奥からばたばたと足音が近付いてきた。


「いらっしゃいませー! エルドのKawaE工房へ!!」

 出てきたのは片目が隠れる程にもっさりとした黄緑色の髪の毛の男性だった。満面の笑みで接客に来た彼は、ルチルを見るとやや落胆した様子で、なんだ珍しいねと話し掛けた。そして、ネリアが居ることに気が付くと……。

「おお! 名前を教えてくれないかい。かわいい人!」
「……え、ぼくですか? ネリア・ガネットです、けど」
「ネリアたん! 素晴らしいね。名前もかわいい。
 ルチル、君は相変わらず(作るドールが)かわいいね」
「ルチル様がかわいい!!?」

 男性のハイテンションに押されて、ネリアはなにがなんだか分からなくなった。そんな状態でもルチルは冷静にネリアの肩をぽんぽんと叩いて、目をぐるぐるさせている男性に話し掛けた。

「エルド、彼女はドールではありません。人間です」
「なんだって!? 君の新作じゃないのかい? じゃあ、まさか……」

 エルドと呼ばれた男性は今にも飛びつきそうな勢いでルチルを見やり、すぐにネリアの方へ首を回した。口をぽかんと大きく開けたまま止まったのを見て、ネリアは改めて自己紹介した。

「あ、僕はルチル様の弟子で、ネリア・ガネットと言います!」
「弟子……あのかわいくない弟子以外にも弟子を取ったんだね。僕はエルド・J・シリカ。このKawaE工房のマスターさ。そう、例えば、こんなかわいい子達を創っている!」

 エルドが開け放った扉を指さすと、奥からまるっこくデフォルメされた動物のようなドールがたくさん飛び出してきた。猫のようだったり、牛のようだったり、どの動物にも似ていないものも居る。それらは口々に「ごしゅじんたま」とか「ねこー」とか「わーい」だとか喋って跳ねている。
 
「ネリア君。彼はこのような『マスコット』という分類のファンシードールを作っているマスターです」
「マスコット……。あっ!これって!」

 ネリアは初めてメレーホープに押し掛けた日の事を思い出した。あの時、少年がメレーホープに飛び込んできて、白くて丸い毛むくじゃらのマスコットドールを助けてくれと縋ったのだ。あの出来事が無ければ、ルチルの弟子にはなれていなかっただろう。

「そういえば、あのドールの製作者って若しかして……」
「そうですよ。彼があの少年のドールの修繕費をこちらに押し付けてきた張本人です」
「僕はかわいいものを愛する者の味方だからね。ねー、ねこたん!」
「ねこー!」

 エルドは太めの眉をハの字に曲げて、肩に乗せたねこ型ドールを人差し指でなでなでしている。

「で、ルチルは何しに来たんだい? 用もなしに来たのかい?」
「その事ですが、ネリア君にマスコットドールの創り方を教えてあげてくれませんか」

 言いながらルチルは、先程カウンターの上に乗せた紙袋から色とりどりの布を取り出した。よく見るとそれはネリアが最初におつかいで買って来たものばかりだった。

「ど、どういうことですか!?」

 ネリアはルチルからドール作りを教わりたいのだ。なのに、彼は今会ったばかりのエルドに教われと言う。やはり見捨てられたのだろうか、と不安な気持ちが過ぎった。

「私はマスコットドールの事は詳しくありません。しかし、それを理由に君の芽吹くかもしれない可能性を潰したくはない。私は、これも何かの縁だと思うのです」
「成程、マスコットドールは形が素直だからね。だからって簡単な訳じゃないけど。心配しなくても僕が教えるのはドールの器を作る所までさ。だろ? ルチル」

 それでも、ネリアの心は晴れない。離れたくない。そんな言葉が浮かんでいた。

「かわいく無い方の弟子くんは最初から形だけはしっかり出来てたからね。……だから、ネリアたんにどう教えればいいのか分からなくて困ってるんだよ。ルチルは。師匠失格だね」

 ニヤリと笑ってエルドはネリアの方へ寄り、口元に手を当て耳打ちするが、ルチルには聞こえているようだ。いつもの無表情がやや居心地が悪そうに動いた気がした。

「見捨てられたわけじゃ、ないんですよね」
「ええ。もちろんです」

 ルチルの深い海の青みたいな左目が、何か言いたげにネリアを見つめた。

「それに、来るのは彼の方です。1週間に1日ほど、メレーホープに来てもらいましょう。仕事が無ければ、私もそばで見学させて頂きますし……」
「え! なんだいそれ!? そんなの、聞いてない!」
「言いませんでしたから」

 心の中で止まっていた何かが、動いた気がした。ルチルの変わらない表情が優しく感じる。

「これからも、メレーホープの仕事もお願いしますね。ネリア君」
「……は、はいっ!!」

 マスコットドール達が嬉しそうに跳ねまわる。ネリアも元気いっぱいの笑顔で跳びはねた。暫くして、溜息と共に仕方ないなぁとエルドはつぶやいた。




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わりと過保護なんじゃないのルチル様_(_^_)_
エルドは久々にメモってある紙見て、ああーうゆさんっぽいキャラだな〜〜と思いました(笑)


タイトルはらしぇたんの話読んだ後だとこれ以外考えられなかった。
止まってた時間が動いたなってのは私の方ですね。ありがとうしかない(*´▽`*)